六道とは

「六道」とは、仏教の概念ですが、人は亡くなった後に行く場所というのが決まってるそうです。

それは、「その人がどのような生き方をしていたのか?」で、行き先は決まるようで、

人よりも、良い生き方をした人は、天人の世界「天道」へ。

人として全うに生きた人は、人の世界「人間道」へ。

自分にとっての正義のために人と争った人は、
修羅の世界「修羅道」へ。

自分の意思で働こうとせず、愚痴や不平不満が多く、感謝の少ない人は、畜生の世界「畜生道へ」。

強欲で嫉妬深い人は、餓鬼の世界「餓鬼道」へ。

悪い事をした人は地獄、、「地獄道」へ。

亡くなった人は、生前の生き方に従い、それらの道からお迎えが来るようです。

いわゆる「悪い事」とは、人を殺めた人、盗みを働いた人などと思われるかと思いますが、実はそうでもないようです。

地獄からお迎えが来る人というのは、人を殺したなど、法を犯した極悪人じゃなくても、このような人は該当する可能性があるようです。
「自分の快、不快だけで生きていて、なおかつ、自分の快のために、人を陥れた人」

快、不快だけで生きていたとしても、人を陥れていなければ、大丈夫だそうです。

このような人は、地獄で修行する必要があるそうなのですが、実は地獄には上に登るためのハシゴがいくつも掛かっているそうなのですが、地獄にいる亡者には、これが見えません。
ですが、ある事が出来るようになると、ハシゴが見えて、上に登れるようになるのだそうです。

それは、「人のことを考えることが出来るようになること」。

これが出来るようになったなら、ハシゴが見えて、地獄から出る事が出来るのだそうです。

よく、人間界(現世)は修行の場と言いますが、
ここは「人の道を行く人」の修行場なのだそうです。

自分の為だけじゃなく、人の為にもなり、社会の為にもなる事を修行するのが、この世界なのだそうです。

現世で、普通の人以上に、人道支援に励み、精神性を高めた人は、「天道」からお迎えが来るようです。
そこまでには至らなく、でも人を貶めるような事をしなかった場合は、また「人間道」をやり直すのかもしれません。

現世で、人の考えを認めず、自分の正義を押し通そうと争いばかりしていた人は、「修羅道」からお迎えが来ます。そこは、その名の通り「修羅場」。

自分の意思で働こうとせず、愚痴や不平不満が多くて、感謝の少ない人は、「畜生道」からのお迎えです。
「畜生」とは、動物の事です。要は、動物と同じレベルからの修行が必要だと言う事です。
(動物は不平不満言いませんから、もっと下かもしれませんね。)

強欲で嫉妬深く、あれが欲しい、これも欲しいと自分の欲のままに振る舞っていた人は「飢餓道」です。ここは、いくら求めても与えられず、仮に、与えられたものがあっても、今度は受け取る事が出来ない世界です。「強欲」というのは、このような場所での修行が必要なくらい、自らの魂を貶めてしまう行為なのです。

「地獄道」は先程書いた通りですが、他者の事を考える事が出来ず、自分の快、不快だけで生きている人は、どうしても極悪非道になりやすいです。

そこまで魂を落としてしまった人が、「他者のことを考えられるように修行する場所」が「地獄」なのだそうです。

多くの場合は、浄土に上がって行けるように、葬儀の時に、僧侶さまが、最大限の努力をしてくれるそうなのですが、中には「どうしても無理な人」もいるようです。

今、私たちの魂が生きている「人間道」の世界というのは、
どこを切り取っても、「自分だけが良ければいいや」は通用しない世界なのかもしれません。たった1人でもいい。「この人のために」と思える人の存在が必要な世界なのかなと思います。

END

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